内向型教師が適応障害と向き合う日記

適応障害で休職し、復帰しました。自分の気持ちと向き合うために日々の生活や考えたことなどを書いていきます。

思えば。

適応障害の診断を受けたのは、今年度に入ってからです。寝付けなかったり、不調が連日続いて「やばいのでは」と心療内科にかかったのも最近のことです。

2年目に入って、業務量の増加や重さが自分にとって負担だったことは事実ですが、思えば昨年度から積み重なっていた不満が爆発した結果が今なのだと思います。

 

  • 教員の働き方・職場環境
  • 部活動
  • 保護者対応 / 休憩時間とは 

 

 

まずは、言わずもがな教員の働き方の異常さです。

中学校の頃から、中学校教員なることを夢見て、そこから教員一本で進路を選択してきました。大学時代、他の業種に関心を持ったこともありましたが、教員になることしか考えていなかったため、その時感じた衝撃すらも素通りしてしまいました。

今思い返すと後悔しかありませんが、自分で選択した道なのでこれからどうしていくかを考えた方が得策ですね。

 

教員がブラック労働を強いられているという情報は、もちろん耳にしていましたし、採用試験合格後もびびっていたし、「やめたほうがいいのでは・・・」と迷ったこともありました。

でも同時にその頃は、「働き方改革」がメディアで多く取り上げられ、学校の先生の働き方も注目を浴びていました。

一番ネックに感じていた「部活動顧問」についても、外部化の動きが始まっていることを知りました。

そこで安堵してしまったのが、よくなかったのだと思います。自分が教員になる頃には少しはマシになっているだろう、部活動の顧問も強制されることはないだろうと。完全に情報収集不足でした。うぬぼれていました

 

 

実際教育現場で働くと、「働き方改革」というワードだけは耳にするものの、実質的な変化が起こる様子はほとんど見られませんでした。

部活動顧問をもつのは当たり前、土日出勤当たり前、時間外労働当たり前、「教員の労働ってこんなもんだよね」という空気が当たり前。

形としてとりあえず様になっているのは「定退勤日」くらいで、根底は何も変わらないし変わる気配もありませんでした。

 

「#教師のバトン」で多くの声が挙がっているので細かいところは省略しますが、とにかく業務量はもちろん、意識自体の改革がなされていない環境でした。

  

プライベートの時間を十分に確保したい、余白こそが仕事の生産性を高めてくれると強く感じている私にとっては、過酷でしかありませんでした。

 

 

好きなことなら、関心を持てることなら、それでも頑張れるのかもしれない。でも、私が一番力を入れたい「教材研究」をする時間を、勤務時間内に確保することは、ほぼ不可能でした。

初任者研修で「わたしは空き時間に来週の授業計画を仕上げて~」と声高々に話す指導主事がいましたが、そんな時間ありません。

 

「個々で没頭できる作業時間」がないんですよね。教材研究なんて、「研究」と付くほどなのだから、じっくりと時間をかけて、授業で生徒にとって最高のパフォーマンスができるように、入念な分析と準備をすべきだと思うんです。でも、妨害されることなく集中して教材研究に取り組む時間も環境も皆無でした。

 

また、雑務に時間を取られるだけでなく、とにかく周りからの不必要な「音」が、私には多すぎると感じました。

 

説明を丁寧に聞くことや雑談を楽しむことは大切だと思います。ですが、ひとつひとつが長すぎるし、回数が多すぎるのです。「今その話って必要?」と感じることが多々ありました。5分で終わる作業や説明を、20分~1時間でされること、他愛もない雑談を40分以上聞かされることもザラにありました。

 

逃げるように空き教室へ行くこともありましたが、毎時間そうするわけにもいきません。職員室は私にとって、地獄のような場所でした。

 

大学みたいに、先生ごとに部屋が用意されていたらどんなに幸せだろう、そうすれば用があるときもわざわざノックして入らなきゃいけないから、無駄に話しかけられたり不必要な話題で時間を割くこともなくなるのに、、と、300回くらい考えました。

  

納得のいかぬまま授業をすることが本当に悔しくて情けなくて、とにかく生徒に申し訳ない気持ちばかり抱えていました。準備ができないわけではありません。自宅へ持ち帰って、誰にも邪魔されない自分だけの部屋で授業のことを考えれば、効率も1000倍上がるし、実際早朝や土日のカフェでやることが多かったです。

 

でも、1日仕事に追い詰められているのはやはり息が苦しいし、唯一落ち着く自分の部屋でも、読書や映画に時間を割けずに翌日の準備に追われるのは、とてもしんどかったです。だから授業すらも嫌になってしまって、ままならない準備の授業での生徒の反応はもっとつらくて、完全に負のスパイラルでした。

 

 

こんな感じで、好きなことなら頑張れると思っても、好きなことに時間を割けず、力を注ぐこともできない現場で働くことは、たとえ教えることが楽しいと感じる私でも、無理だと思います。

 

思いの外長くなってしまったので、次の記事で続きを書きます。

私がこのブログで書きたいことは「その結果罹ってしまった適応障害といかに向き合って、どんなふうに過ごして、どんな葛藤と闘って、乗り越えていくか」についてなので、愚痴は程々に、早く本望の内容に入りたいと思いますが、事実として残しておきたいことは書きたいと思います。