葛藤その2。
前の記事では、教員のアイデンティティを持つ身として抱いた葛藤を綴りました。
休職中、私はもう一つの葛藤(?)に苦しみました。それは周りの人から言葉です。
「家にいるなら何かやりなさい」「働かずに引きこもるなんて」「口だけで全然動かないじゃないか」「浪人生じゃないんだから」「ニートがいて困るなあ」
こう言われること、見られることは、仕方のないことかもしれません。でも、働かずに家にいることへの危機感は、本人が一番感じているのに、それを周りから口にされることは、何より辛く耐えがたいことだと知りました。
例え悪気がなくても、その言葉を耳にしただけで涙が止まらなくなるんです。
そのときの気持ちを、ほぼノートに綴ってあるままに、記録しておきます。
なりたくて、病気になったわけじゃない。こんな状態でもなにかしら仕事をしていないとだめなのか?ただ家にいて、休む時間をもったらいけないのか?数か月間、ずーっとだらけるつもりはない。でもまだ休みに入って間もない。頭と心を休ませる時間をもつことはいけないのか。家事をすれば、何かに没頭すれば、気が紛れるのかもしれないし、家にいるなら何かしろっていうのも分かる。でも今は、自分の機嫌、体調を整えるので精一杯なんだから、自分の心と向き合うことに、自分のこれからを考えることに、あのときの心のゆとりを取り戻すことに専念して、それが終わってからではだめなのか。せっかく学校から解放されても、これじゃあ意味がないんじゃないか。どれだけあの人達に、あの環境に苦しんできたか話したのに。こうして不自由なく暮らせていることはありがたいと思っている。でも今は息苦しいんだ。人と関わるのが怖いから。一人の空間で、一人でいたいから、疲れてしまうんだ。家事も仕事も何もできない自分を無能だと言いたいのか。この状態で、どうしたら満足するのか。
まだ5分の1です(笑)
特にこのときいろんな言葉に傷ついて、職場に対しても、それ以外のことに対しても、否定的な目でしか見ることができなかったので、少々イタい表現もあるかと思います。
でも、たった一言で、世界の見方を完全に悪に染めてしまうことがあることを、身をもって学びましたし、「個人の気持ちの問題」という側面だけで、少なくとも私は、片付けたくないと思いました。
管理職は今回の件について、ほぼほぼ「私自身の問題」として捉えていましたから、それが余計辛かったです。
自分の考え方に要因があることも、もちろんその通りです。そこは改善していきたいし、この世の中で生きるためには、まずは自分の心身を強くしていかなければいけないと痛感しています。