内向型教師が適応障害と向き合う日記

適応障害で休職し、復帰しました。自分の気持ちと向き合うために日々の生活や考えたことなどを書いていきます。

保護者対応・休憩時間0。愚痴吐きはこれで終わり。

「『モンスター・ペアレント』なんていない」、「『モンスター』なんて思った時点で失格」というような意見を目にすることがたまにあります。そうかもしれないけれど、本当に、手の施しようのない親もいるのは事実で、これには相当やられました。

 

細かい説明は避けますが、毎日のように1~2時間、電話で理不尽なクレームをつけられる。学校に乗り込んでくることもしょっちゅう。「馬鹿」「死ね」「他の親もあんたの陰口叩いてるよ」の他、何度も人格否定をされ、心身ともにボロボロになりました。

 

 

「受け流すことが大事」「気にしない」相談の返事は毎回これでした。真に受けず、軽く聞き流しておけばいい。そんなこと痛いほど分かっていました。そうやって乗り切ろうとしました。

でも、自分のミスでもないことまで、粗探しをしては否定され、「馬鹿」「死ね」「給料泥棒」など毎日のように怒鳴られ続ければ、意図せずとも精神が削られていくことを、理解してもらいたかった。管理職や指導教員にも、何度も説明しました。

 

 

私の切り替え能力が足りないのだと、こんなことどこでもあることだと、流されることが、本当につらかったです。

上層部の方々ですら、「親に寄り添うことを第一優先に」とのことで、上の人たちは誰も自分を守ってくれないのだと、強く思い知らされました。

 

 

自分がどんどんだめになっていくのを感じながら生徒の前に立つことは、今思い返しても震えるほど苦しかったです。

 

こういった保護者の存在以上に、教員を守る気のない管理職や上層部に心底呆れ、絶望感を覚えました。

 

 

最後の愚痴は、「休憩時間が皆無」だということです。

給食中はもちろん、お昼休みにホッと息をつくことすらできませんでした。むしろ委員会やその他の対応などで、本来は担任の休憩時間であるはずなのに、休むことは不可能でした。

 

そんなこと言っても、周りの先生は気にせず好きに休めばよかったのかもしれない。けれど、やはり目は気になってしまうし、それが私の悪いところでもあったのかもしれません。

帰りの会が終われば即部活、部活が終われば突如始まる打ち合わせや電話対応。

 

アルバイトをしていた学生時代、どんなに過酷な仕事でも、間の10分休みや60分のお昼休憩時間がちゃんと確保されていたことを、とてもありがたく感じました。そもそも法律で定められているはずなんですけどね。。。

 

5分でもいいから、ひとりで無になる時間がほしかったし必要としていたので、数ある教員の労働問題の中でも、休憩時間の概念が存在していないことはしんどかったです。

 

 

こんな感じで、いろいろな積み重ねが今年度に入って限界を迎えたのだろうと思います。おそらくこの状況に適応できなかったのは、私自身にも原因があります。これからどうしたいか、願望はあるけれどまだ明確な方向は定まっていません。

 

気持ちと生活を整えて、また笑顔で働けたらいいなと思っています。

部活動が想像以上に苦痛だった。

部活動は相当きつかったです。もはやこれさえなければ、自分はここまでボロボロにならずに済んだのでは、と思うくらいです。この際経験・未経験関係ないです。「部活動」の存在自体が、私にとって最大の敵でした。

 

勤務校での面談からすでに、「顧問を引き受けない」という選択肢はなく、「~先生には○○部を担当してもらうから」と、未経験のスポーツを言い渡されました。一応希望の部も聞かれましたが、「あ~それは無理そうだね~」と軽く流されて終わりました。

 

言うまでもなく、勤務時間外無給労働、休日出勤のオンパレードです。土日大会の週は死にたくなりました。

 

3時間にも及ぶ練習で技術面の指導もできず、ひたすら球拾いをしているとき、

「今自分はいったい何をしているんだろう」

「今この時間は人生で一番無意味な時間だなあ」

と500回くらい考えました。生徒と一緒に練習するのはだめだと言われ、かといってよく知りもしないスポーツのアドバイスなんて、私が生徒の立場でも聞き入れにくいだろうと思います。

 

 

生徒主体で任せて、その場から離れることも許されません。いる意味も価値もないのに、棒人間のように突っ立っていなければいけない。本当に「無」の感情てこんな状態なのだと実感しました。興味もない、できもしないスポーツを強制的に任せられ、時に保護者や生徒から指導を求められるって、想像以上にきついです。私は教科指導の免許しか持っていないから。

 

 

「それでもできることはある」と前向きな助言をしてくださる先生もいます。

「今は未経験の部活の主顧問になって、必死にそのスポーツを勉強してます!」

と熱心に語る同期もいました。参考になったり励まされたりすることもありました。

ですが、そもそも私の根底にあった要望は、

「休みの日は休ませてくれ。」「専門外のことに責任をなすりつけないでくれ。」「教科指導、学級運営のことに時間を割かせてくれ。」「まず時間外なんだから、こちらに押し付けるのはやめてくれ。」

だったので、次元が違うのだなあと感じました。

 

だから、変な意味でも嫌味でもなんでもなく、部活動の顧問を一生懸命全うする先生は、凄いと思います。私には到底できません。

 

あとほんとにマジで勘弁してくれ(口が悪くてすみません)と思うのは、学校によって顧問が経験者だったり、未経験者だったり、ばらばらなんですよね。

指導者の方が毎日来てくださる学校もあれば、休日だけいらっしゃる学校、そもそも雇っていないかつ未経験者が顧問の学校。

こんな不平等な条件下で、割と敷居の高い大会が催されて、順位が決定されて、それが生徒の進路にも影響して、下手したら顧問の力量で生徒の将来が左右される。私にはとても耐えられませんでした。

 

大会も本当に嫌いでした。未経験の自分は何もアドバイスできない横で、ばりばり経験してきた顧問の先生がでかでかと声を荒げて生徒をリードする姿を見ること。別に声を荒げたいわけではありません。むしろ「怒鳴る」という行為はできる限りしたくありません。なんで運動部の熱血の顧問の先生はあんな何度も怒鳴りつけるのだろうと、中学生の頃から疑問に感じていたし、怖かったです。

 

話がそれましたが、大会で競わせるのなら、それなりの環境を整えてほしいです。全く知識なしの顧問と、経験ばっちり現役でもやってますみたいな顧問のチームが、同じ土俵で競うのはあまりにも不平等であると思うし、生徒のことも不憫に感じて、ますます自分が嫌になっていきました。

 

 

「あなたはあなたのやり方でやればいい。」

そうかもしれませんが、どうしたって生徒は経験者で力のある顧問のアドバイスを求めているのが嫌でも伝わるし、そんな精神論で片付く問題ではなかったんです。

スポーツのことを勉強しようにも、「まず本業じゃない」と考えてしまうし、ちょっと本や動画で勉強したところで、1年以上実践してきた生徒を教えられるだけのことなんてたかが知れているし、1年生の指導は先輩が喜んで引き受けます。

部活動における自分の存在が本当に醜くて苦しくて、今すぐにでも辞めたいと、いつも思っていました。

 

「1日ボランティアで係の仕事お願いします。」

「この大会はお金出ませんが半日なのでご協力お願いします。」

こんなことも珍しくありませんでした。はあ?とこみ上げる怒りを抑えるのに必死で、あのとき何も反論できなかった自分にも腹が立ちます。昼食も交通費も自腹です。

 

 

せめて休日の練習はなくしてしまおうと考えました。

でも生徒から、「先生、練習試合組んで」と言われ、どの学校も躍起になって練習試合の相手を探すような空気の中で、自分だけ逃げるわけにはいきませんでした。というよりも、逃げられませんでした。

 

練習試合のお願いの電話をして回っているとき、

「ああ、この自分で自分の貴重な休日を潰していく感じ、たまんねえぇぇ!」

(口が悪くてすみません)と心の中で叫んでいました。

 

 

いろいろうだうだと書いてしまいましたが、部活動が学校から切り離されない限りは、私に教員の仕事を続けることは無理だと断言できます。

思えば。

適応障害の診断を受けたのは、今年度に入ってからです。寝付けなかったり、不調が連日続いて「やばいのでは」と心療内科にかかったのも最近のことです。

2年目に入って、業務量の増加や重さが自分にとって負担だったことは事実ですが、思えば昨年度から積み重なっていた不満が爆発した結果が今なのだと思います。

 

  • 教員の働き方・職場環境
  • 部活動
  • 保護者対応 / 休憩時間とは 

 

 

まずは、言わずもがな教員の働き方の異常さです。

中学校の頃から、中学校教員なることを夢見て、そこから教員一本で進路を選択してきました。大学時代、他の業種に関心を持ったこともありましたが、教員になることしか考えていなかったため、その時感じた衝撃すらも素通りしてしまいました。

今思い返すと後悔しかありませんが、自分で選択した道なのでこれからどうしていくかを考えた方が得策ですね。

 

教員がブラック労働を強いられているという情報は、もちろん耳にしていましたし、採用試験合格後もびびっていたし、「やめたほうがいいのでは・・・」と迷ったこともありました。

でも同時にその頃は、「働き方改革」がメディアで多く取り上げられ、学校の先生の働き方も注目を浴びていました。

一番ネックに感じていた「部活動顧問」についても、外部化の動きが始まっていることを知りました。

そこで安堵してしまったのが、よくなかったのだと思います。自分が教員になる頃には少しはマシになっているだろう、部活動の顧問も強制されることはないだろうと。完全に情報収集不足でした。うぬぼれていました

 

 

実際教育現場で働くと、「働き方改革」というワードだけは耳にするものの、実質的な変化が起こる様子はほとんど見られませんでした。

部活動顧問をもつのは当たり前、土日出勤当たり前、時間外労働当たり前、「教員の労働ってこんなもんだよね」という空気が当たり前。

形としてとりあえず様になっているのは「定退勤日」くらいで、根底は何も変わらないし変わる気配もありませんでした。

 

「#教師のバトン」で多くの声が挙がっているので細かいところは省略しますが、とにかく業務量はもちろん、意識自体の改革がなされていない環境でした。

  

プライベートの時間を十分に確保したい、余白こそが仕事の生産性を高めてくれると強く感じている私にとっては、過酷でしかありませんでした。

 

 

好きなことなら、関心を持てることなら、それでも頑張れるのかもしれない。でも、私が一番力を入れたい「教材研究」をする時間を、勤務時間内に確保することは、ほぼ不可能でした。

初任者研修で「わたしは空き時間に来週の授業計画を仕上げて~」と声高々に話す指導主事がいましたが、そんな時間ありません。

 

「個々で没頭できる作業時間」がないんですよね。教材研究なんて、「研究」と付くほどなのだから、じっくりと時間をかけて、授業で生徒にとって最高のパフォーマンスができるように、入念な分析と準備をすべきだと思うんです。でも、妨害されることなく集中して教材研究に取り組む時間も環境も皆無でした。

 

また、雑務に時間を取られるだけでなく、とにかく周りからの不必要な「音」が、私には多すぎると感じました。

 

説明を丁寧に聞くことや雑談を楽しむことは大切だと思います。ですが、ひとつひとつが長すぎるし、回数が多すぎるのです。「今その話って必要?」と感じることが多々ありました。5分で終わる作業や説明を、20分~1時間でされること、他愛もない雑談を40分以上聞かされることもザラにありました。

 

逃げるように空き教室へ行くこともありましたが、毎時間そうするわけにもいきません。職員室は私にとって、地獄のような場所でした。

 

大学みたいに、先生ごとに部屋が用意されていたらどんなに幸せだろう、そうすれば用があるときもわざわざノックして入らなきゃいけないから、無駄に話しかけられたり不必要な話題で時間を割くこともなくなるのに、、と、300回くらい考えました。

  

納得のいかぬまま授業をすることが本当に悔しくて情けなくて、とにかく生徒に申し訳ない気持ちばかり抱えていました。準備ができないわけではありません。自宅へ持ち帰って、誰にも邪魔されない自分だけの部屋で授業のことを考えれば、効率も1000倍上がるし、実際早朝や土日のカフェでやることが多かったです。

 

でも、1日仕事に追い詰められているのはやはり息が苦しいし、唯一落ち着く自分の部屋でも、読書や映画に時間を割けずに翌日の準備に追われるのは、とてもしんどかったです。だから授業すらも嫌になってしまって、ままならない準備の授業での生徒の反応はもっとつらくて、完全に負のスパイラルでした。

 

 

こんな感じで、好きなことなら頑張れると思っても、好きなことに時間を割けず、力を注ぐこともできない現場で働くことは、たとえ教えることが楽しいと感じる私でも、無理だと思います。

 

思いの外長くなってしまったので、次の記事で続きを書きます。

私がこのブログで書きたいことは「その結果罹ってしまった適応障害といかに向き合って、どんなふうに過ごして、どんな葛藤と闘って、乗り越えていくか」についてなので、愚痴は程々に、早く本望の内容に入りたいと思いますが、事実として残しておきたいことは書きたいと思います。

このブログについて。

まず愛読書の1つ、スーザン・ケイン著、古草秀子訳の『内向型人間の時代-社会を変える静かな人の力-』の中の一文を紹介します。

 

たとえば学校の机はグループ学習がしやすいように小集団に分けて並べられることが多くなっており、これは調査によれば、教師の大半が外交的な生徒こそ理想的だと考えているからだ。

□2013年講談社出版 スーザン・ケイン『内向型人間の時代-社会を変える静かな人の力-』p.10より引用

 

生徒・教員両方の立場から学校という組織の中で過ごしてきて、確かにそうかもしれないなあと納得しました。

今でこそ個性の伸長がより重要視され、一人一人の関心や良さを最大限に引き出す教育の必要性が謳われている求められているように感じますが、やはり振り返ると、「学校」という場所はどうしても外交的な人、積極的に行動できる子どもが生きやすい仕組みになっているように思います。

 

そしてここで述べておきたいこと、それは、このことは生徒だけでなく「教員」においても、同様のことが言えるのではないかということです。

 

私自身、中・高ともに運動部に所属し、大学でもスポーツを楽しみ、大人数での遊びや飲み会も経験してきたものの、おそらく「外向型を繕ったばりばりの内向型人間」でしたし、今でも確実です。あくまでも主観ですが・・・。

 

以下は同じく『内向型人間の時代・・・』のp.19~20を引用していますが、ほぼ全てにあてはまります。だからと言って、「自分は内向型人間だ」と断定するわけではありませんが、少なくともその傾向が強いのかなと感じます。

 

  1. グループよりも一対一の会話を好む。
  2. 文章のほうが自分を表現しやすいことが多い。
  3. ひとりでいる時間を楽しめる。
  4. 周りの人にくらべて、他人の財産や名声や地位にそれほど興味がないようだ。
  5. 内容のない世間話は好きではないが、関心のある話題について深く話し合うのは好きだ。
  6. 聞き上手だと言われる。
  7. 大きなリスクは冒さない。
  8. 邪魔されずに「没頭できる」仕事が好きだ。
  9. 誕生日はごく親しい友人ひとりか二人で、あるいは家族だけで祝いたい。
  10. 「物静かだ」「落ち着いている」と言われる。
  11. 仕事や作品が完成するまで、他人に見せたり意見を求めたりしない。
  12. 他人と衝突するのは嫌いだ。
  13. 独力での作業で最大限に実力を発揮する。
  14. 考えてから話す傾向がある。
  15. 外出して活動したあとは、たとえそれが楽しい体験であっても、消耗したと感じる。
  16. かかってきた電話をボイスメッセージに回すことがある。
  17. もしどちらか選べというなら、忙しすぎる週末よりもなにもすることがない週末を選ぶ。
  18. 一度に複数のことをするのは楽しめない。
  19. 集中するのは簡単だ。
  20. 授業を受けるとき、セミナーよりも講義形式が好きだ。

 

・3に関しては言うまでもなくです。むしろひとりの時間でないと楽しめないことがばかりだし、その時間がないと即死します。

・4については、職場の誰がどこに異動するだとか誰が昇進するだとか、自分に関係のない話題には全然興味を持てません。その話を頻繁に聞かされることが苦痛だし、それならもっと実のある話をしたいと感じてしまいます。

・6はちょっとあてはまるか怪しいです…友人の悩みなんかを聞くとき、「私もさあ」、「私もそれあったよ!」などすぐ自分の話にすり替えてしまうことがあると感じていて、今でこそ気を付けるようにはしてますが、怪しいです。

私自身、悩みを相談してもすぐ自分の経験談や自慢話に華を咲かせる上司に嫌気がさしてしまうので、「相手の話を聞くときは相手の環境に立場を置くことに徹すること」を意識しています。無理にアドバイスとかは言えなくても、聞くことはいくらでもできるので。

話はそれましたが、人の話を聞くことは好きな方だと思います。昔は自分のことを話したい衝動に駆られることもありましたが、今は、他人の経験や頭の中のことをじっくり聞くことの方に惹かれます。先ほどの名声やらなんやらの話題は別として…

 

・8,13も本当にその通りで、一人で黙々と作業することが好きだし、できることならずっとそうやって働いていたい。こうやってブログを書いたり、レポートを書いたり、一人で問題なくできる作業を、誰の邪魔もなくできる環境に身を置けたら、それだけでこの上なく幸せです。

 

長くなるので最後の項目にいきますが、圧倒的「講義形式」派です。学校や大学の授業でもそうでした。たまになら意見交流やグループ活動も楽しいと感じますが、基本は席で座って、先生のもつ知見や経験に耳を傾け、思考をめぐらせることのできる講義形式が大好物でした。

 

ざーっと自分の傾向を語ってみましたが、みなさんはどのくらいあてはまりましたか?

 

スーザン・ケインさんの引用で、「教師の大半が外交的な生徒こそ理想的だと考えているからだ。」とありましたが、職場としての学校にとっても、「外向型人間」が理想的であり、適しており、上に挙げた項目に数多くあてはまる「内向型人間」にとっては、学校で働くってかなり息苦しいのです。

教師の仕事は憧れでしたが、働くまでこんなにも自分にとって生きづらい場所だとは思いませんでした。学校は生徒だけでなく、特に小中の教員にとっても、外向型の傾向が強い人間が生き残るのだと感じました。

 

私は教員になって2年で適応障害になりました。さまざまな要因がありますが、この内向型気質な面も関係がなくはないと思っています。どうしてもあの環境で働くことが耐えがたく、限界だったのです。現在は休職しながら、自分自身や今後のことを模索しています。

 

同じ環境で苦しんでいる人、悩んでいる人と共感し合える場がほしくて、何よりも自分の考えを整理して自分らしく働けるように変わりたくて、このブログを始めました。

 

適応障害に至った経緯はほどほどに、休職中の過ごし方や葛藤、思考を綴っていけたらと思います。